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【祝 NHK大河ドラマ化決定!】 黒田官兵衛について (前篇)コラム

2012年11月07日

【祝 黒田官兵衛NHK大河ドラマ化決定!】

平成26年のNHK大河ドラマが、『軍師官兵衛』に決定したそうです。
黒田官兵衛は、福岡藩の初代藩主黒田長政の父であり、福岡にも大変ゆかりのある方です。その黒田官兵衛を、V6の岡田准一さんが演じるとのことで今から楽しみです。
当社福岡交通のFacebookページでは、福岡の観光地を紹介する連載を行っていますが、その第一弾のテーマが黒田官兵衛(如水)でした。今年の7月に黒田如水が晩年を過ごした御鷹屋敷跡をご紹介し、おかげさまで一部の方に大変ご好評頂きました。今回の黒田如水(官兵衛)のNHK大河ドラマ化決定にあたり、その連載を一部加筆修正し当ホームページでもご紹介させて頂きます。


◇福岡の観光地ご紹介◇
御鷹屋敷跡/福岡城跡と黒田如水

福岡城跡にある「御鷹屋敷跡」をご紹介します。
「御鷹屋敷」は、福岡藩の初代藩主黒田長政の父である黒田如水(官兵衛)が晩年を過ごしたところで、現在その場所には「黒田如水公御鷹屋敷跡」の石碑が立っています。豊臣秀吉に仕えた名軍師であり、秀吉の天下統一にも大きく貢献した黒田如水が、晩年をどのような気持ちで過ごしていたのだろうかと、歴史好きな方なら非常に想像力をかき立てられる場所です。

「福岡の観光地ご紹介」シリーズ第一弾として、この「御鷹屋敷跡」がある福岡城跡、そして黒田如水(官兵衛)という人物についてシリーズでご紹介いたします。



江戸時代の福岡は、「黒田五十二万石」といわれるように、黒田氏により治められていました。初代藩主の黒田長政(黒田如水の長男)は、1600年関ヶ原の合戦での徳川家康の勝利に大きく貢献し、ここ筑前国に52万3000石を与えられ入封してきました。

当初黒田長政は、名島城(福岡市東区)に入城しましたが、治政上の理由から1601年から1607年にかけて当時福崎と呼ばれた地に新しい城を築き、その城の名称を黒田氏ゆかりの備前福岡(岡山県瀬戸内市長船町)より取って「福岡城」と命名、城下町を「福岡」としました。今日に続く福岡という名称は、この時代に黒田氏により付けられたものです。

<御鷹屋敷跡近くにある名島門は、現存する数少ない名島城の遺構の一つです。
名島城は福岡城築城にあたり解体され、福岡城の資材として利用されたそうです。>


福岡城は、海から見た姿が鶴が羽を広げた形に似ていたことから、別名「舞鶴城」とも呼ばれ、現在福岡城跡一帯は「舞鶴公園」として整備されています。春には桜が美しく咲き誇り、現在福岡で最も人気のあるお花見スポットの一つとなっています。
福岡城跡には、平成24年4月に「福岡城むかし探訪館」がオープンし(写真)、福岡城の詳しい歴史を知ることが出来ます(入館無料)。福岡へお越しの際は、是非お立ち寄りください。金子堅太郎著「黒田如水傳」も置いてあります。

<平成24年4月にオープンした「福岡城むかし探訪館」 カフェ(茶房「光姫」)も併設されています>
営業時間
福岡城むかし探訪館: 9:00~17:00 ※夏期(7~9月は19:00まで) (定休日:12/29~1/3)
茶房「光姫(てるひめ)」: 10:00~16:00 (定休日:12/29~1/3)


ちなみに、築城に優れた人物といえば熊本城を築いた加藤清正が有名ですが、福岡城を息子の長政とともに築いた黒田如水も築城の名手として知られています。加藤清正は戦国時代を代表する武将の一人で、かつ熊本での治水事業等の遺構が400年後の現在でも実用として使われているものがあるほど土木技術にも優れた人物ですが、その加藤清正が福岡城を高く評価し、自身の城は3~4日で落ちるが、福岡城は30~40日は落ちない、と賞賛したとも言われています。

<福岡城天守台跡からの風景。隣にある大濠公園も福岡城の外濠の名残りで、福岡城がいかにスケールの大きな
お城だったかが分ります。黒田如水は、加藤清正と藤堂高虎とともに、三大築城名手と言われています。>


後篇(続き)は こちら

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